◆ 2012年1月15日 主日礼拝式
◎みことば
『だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。』
マタイ7章24節
『だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。』
マタイ7章24節
◎説教要旨 [福本行宏牧師]
テーマ:『揺さぶられても崩れない人生の土台』
テキスト:マタイ7:24~29
昨年は東日本大震災・大津波・福島第一原発事故という未曾有の災害が起きた。
17年前にはまさか起きるとは思わなかった大地震が阪神間を震撼させた。
『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え、身を慎みなさい』Ⅰペテロ4/7
これらは終末の前兆である。世界の終わりも、キリストの再臨もそう遠くはない。
聖書が言っている通りである。
Ⅰ、神のご忠告として真摯に受け止める。
多くの犠牲者が出てご遺族の皆様にとっては、忘れることが出来ない辛い悲しい出来事であった。
あの時私たちは犠牲者の死を無駄にしてはならない、と何度心に言い聞かせたことか。
私たちが死んでいても不思議ではなかった。
人間の目に余る驕(おご)り、物質中心主義、神を徹底的に侮って来た化学万能主義の風潮に対する厳しいご警告、愛の忠告であった。
余りにも図に乗り過ぎた人間の欲望が、愚かさをさらけ出した結果だ、とも言えるのではないか。
悲しくも辛いこの貴重な体験を、私たちの人生に於いて生かさなくてはならいことは、16年経た今も変わらない。
Ⅱ、人間の無力・限界が明らかにされた。
よもや起こる筈がない、と思っていた大地震がこの阪神間を襲って、瞬時に近代都市が灰燼に化してしまった。
安全神話など、何処かに吹っ飛んでしまった。
混乱と恐怖の中で為すすべもなかった方が多かった、と思うが、自然の脅威と共に、人間の無力と限界、愚かさを思い知らされた。
Ⅲ、揺るがぬ人生の確かな土台。
この譬え話は、私たちの人生建築の土台が何に据えられているか、によって生き方とその結果が随分違って来ることをキリストが示唆している。
あなたは自分の人生建築を何に土台を据えて、築いておられるか。今一度吟味してはどうか。
砂のようなものを土台としているなら、あなたの人生は非常に不安定で危険である。見栄えが良くてもそれは「砂上の楼閣」であって、脆(もろ)くて崩れやすい。
〝知識も名誉も財産も儚いものです。自分の努力や才能も限りがあるでしょう!〟
目に見えなくても、見栄えが無くても、不動岩の如き神のみ言葉に根ざし、み言葉を信じ、み言葉の中に生きるなら、人生の嵐が突如巻き起こっても、真っ逆様には倒されはしない。詩篇37:24
直接震災を経験した人々も、そうでない人々も、日頃忘れていた一番大切なことを思い出した。
ご遺族や、亡くなられた方々のためにも、精一杯神と人とのために、生きて行かなくてはならない。
それが生かされている私たちの使命ではないか。
亡くなられた方々が、もし生きておられたならば、キリストを信じて、もっと有意義な人生を送っていたかも知れない。
若い人達の中には、福音宣教のために献身する者が起こされたかも知れない。
私たちの身代わりに、多くの尊い命が犠牲になった。
あの時私たちは、神の憐れみと人の情けを、イヤと言うほど体験した。
忘れてしまいたいことも多くあるが、忘れてはならないことも多くある。
ただ、安逸を貪って、自分のためにだけ生きる人生ではなく、出来る限り、神のため、隣人のために、
何かの形で役に立つ命の生涯でありたい。
17年前にはまさか起きるとは思わなかった大地震が阪神間を震撼
『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、
これらは終末の前兆である。世界の終わりも、
聖書が言っている通りである。
Ⅰ、神のご忠告として真摯に受け止める。
多くの犠牲者が出てご遺族の皆様にとっては、
あの時私たちは犠牲者の死を無駄にしてはならない、
私たちが死んでいても不思議ではなかった。
人間の目に余る驕(おご)り、物質中心主義、
余りにも図に乗り過ぎた人間の欲望が、
悲しくも辛いこの貴重な体験を、
Ⅱ、人間の無力・限界が明らかにされた。
よもや起こる筈がない、
安全神話など、
混乱と恐怖の中で為すすべもなかった方が多かった、と思うが、
Ⅲ、揺るがぬ人生の確かな土台。
この譬え話は、私たちの人生建築の土台が何に据えられているか、
あなたは自分の人生建築を何に土台を据えて、築いておられるか。今一度吟味してはどうか。
砂のようなものを土台としているなら、
〝知識も名誉も財産も儚いものです。
目に見えなくても、見栄えが無くても、
直接震災を経験した人々も、そうでない人々も、
それが生かされている私たちの使命ではないか。
亡くなられた方々が、もし生きておられたならば、
私たちの身代わりに、多くの尊い命が犠牲になった。
あの時私たちは、神の憐れみと人の情けを、
忘れてしまいたいことも多くあるが、
ただ、安逸を貪って、自分のためにだけ生きる人生ではなく、
何かの形で役に立つ命の生涯でありたい。
※当教会はエホバの証人(ものみの塔),
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
これらでお困りの方はご相談ください。
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
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