◆ 2010年2月21日 主日感謝礼拝式
◎みことば
『私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。』 使徒の働き20章19節
『私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。』 使徒の働き20章19節
◎説教要旨 [福本行宏牧師]
テーマ:『自由の御霊によって実を結ぶ』
テキスト:使徒の働き20/1~28
Ⅰ、和解の福音と証詞。
『和解の福音』は、神の主導権によるものであり、信仰を持ってこれを受け入れる者には、恩寵となり、これを拒む者には、神の怒りと審判が下る。
①和解の福音を受け入れる。
②和解の務めを任じられている。
③和解の言葉を語る。
『教会』の最高の使命は、キリストの福音を伝えること。
和解には、『神との和解』『人と人との和解』『人と被造物との和解』『自分との和解』がある。
仲立ちはキリスト。使徒の働き20:19~21
人が救われるのは、恵みにより信仰によることが、ハッキリと証明されている。エペソ2:8
神に対する悔い改め。使徒の働き20:21
メタノイアと言う。罪の告白である。
①自分が罪人である事実に同意する。
②自分の口で罪を告白する。
③イエス・キリストの十字架の血で、告白した罪が赦されたことを感謝する。
Ⅱ、週の初めー安息の日に。使徒の働き20:7
キリストの復活を記念して、週の初めの日である日曜日に集まり、礼拝式を守っていた。
また、主イエスの晩餐を記念して、聖餐式を行い、共に食事をすることもあった。
クリスチャンにとって昔も今も、聖日に教会に集まって、神を礼拝することは、礼儀であり、常識であり、命である。
人間としての尊厳を保つ行為でもある。
出エジプト記20:8は、今も生きている神の戒めである。
しかし、現代のクリスチャンは案外気安く安息日の礼拝を休む。
神に膝を屈めて礼拝することによって、私達は初めて心身の真の安らぎを得る。
ヘトヘトになりながら、礼拝を守っている兄姉達が沢山居る。
一週間この世での生活を終えて、教会に帰って来た時は、明らかに疲れた様子。
しかし、礼拝が終わった時の顔は輝いている。
神への希望と信仰が、息絶えた状況から、命あるものへと変えられる。
神の憐れみによって、信仰の息を吹き返すチャンスは、いつでも残されている。
そのためには神の和解を受け入れ、神を礼拝することである。
主イエスに対する信仰。使徒の働き20:21
わたしの罪の身代わりに、イエス・キリストが十字架で死んで下さった、と信じる。
キリストはわたしに永遠の命を与えるために、死人のうちより甦られた、と信じる。ローマ10:8~13、Ⅰヨハネ1:9
この福音のために生きるキリストの使節、これが私たちクリスチャン、キリストの弟子である。
神の国に入るために。使徒の働き20:23
どうしても私たちの人生には、苦難が付き纏う。生身の身体で問題と悩みだらけの中で、生きなければならない。
だからと言って、神を捨てたり、信仰を止めたりはしたくない。確かに信仰的な戦いもあるが、祝福・勝利・義の栄冠が約束されているので、耐えて乗り越えることも出来る。Ⅰコリント10:13
Ⅲ、走るべき行程を完走する。使徒の働き20:24
パウロは信仰生涯の歩みを競争に例えているが、神の恵みと助けによって、何とか信仰生涯を走り
尽くしたい、任務を全うしたい、と願っていた。
私たちも同じことを願っている。Ⅱテモテ4:7、8
信仰の競争を走り抜くことである。
①信仰生活を全うする。私たちは聖霊とみ言葉によって、信仰のコースから外れず、脱落せず、
神から与えられた信仰のコースを走り通すこと。
②聖なる任務。神の恵みの福音を証詞すること。
③命の使い処、苦労のし処。
神の御国に入るまでには、相当の苦難が続く。
しかし、信仰の導き手であり、その完成者であるイエスを見つめつつ、栄光のゴールをめざして行けば、キリストさえ見失わなければ大丈夫である。
聖霊とみ言葉がそのためのエネルギーである。ヘブル12:2
『和解の福音』は、神の主導権によるものであり、
①
②和解の務めを任じられている。
③和解の言葉を語る。
『教会』の最高の使命は、キリストの福音を伝えること。
和解には、『神との和解』『人と人との和解』『
仲立ちはキリスト。使徒の働き20:19~21
人が救われるのは、恵みにより信仰によることが、
神に対する悔い改め。使徒の働き20:21
メタノイアと言う。
①自分が罪人である事実に同意する。
②自分の口で罪を告白する。
③イエス・キリストの十字架の血で、
Ⅱ、週の初めー安息の日に。使徒の働き20:7
キリストの復活を記念して、週の初めの日である日曜日に集まり、
また、主イエスの晩餐を記念して、
クリスチャンにとって昔も今も、聖日に教会に集まって、
人間としての尊厳を保つ行為でもある。
出エジプト記20:8は、今も生きている神の戒めである。
しかし、現代のクリスチャンは案外気安く安息日の礼拝を休む。
神に膝を屈めて礼拝することによって、
ヘトヘトになりながら、礼拝を守っている兄姉達が沢山居る。
一週間この世での生活を終えて、教会に帰って来た時は、明らかに疲れた様子。
しかし、礼拝が終わった時の顔は輝いている。
神への希望と信仰が、息絶えた状況から、
神の憐れみによって、
主イエスに対する信仰。使徒の働き20:21
わたしの罪の身代わりに、イエス・
キリストはわたしに永遠の命を与えるために、
この福音のために生きるキリストの使節、
神の国に入るために。使徒の働き20:23
どうしても私たちの人生には、苦難が付き纏う。
だからと言って、神を捨てたり、信仰を止めたりはしたくない。
Ⅲ、走るべき行程を完走する。使徒の働き20:24
パウロは信仰生涯の歩みを競争に例えているが、
私たちも同じことを願っている。Ⅱテモテ4:7、8
信仰の競争を走り抜くことである。
①信仰生活を全うする。私たちは聖霊とみ言葉によって、
神から与えられた信仰のコースを走り通すこと。
②聖なる任務。神の恵みの福音を証詞すること。
③命の使い処、苦労のし処。
神の御国に入るまでには、相当の苦難が続く。
しかし、信仰の導き手であり、
聖霊とみ言葉がそのためのエネルギーである。ヘブル12:2
※当教会はエホバの証人(ものみの塔),
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
これらでお困りの方はご相談ください。
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
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