◆ 2010年2月14日 信教自由感謝礼拝式
『思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠の命を刈り取る。』
ガラテヤ6章7、8節
◎説教要旨 [福本行宏牧師]
テーマ:『蒔くこと・刈り取ること』
テキスト:ガラテヤ6/1~18
信仰者として御霊によって生きているなら、御霊によって進もう(生活する)、と勧めている。ガラテヤ5:25
Ⅰ、御霊に満たされた人。ガラテヤ6:1~5
『罪過に陥っていることがわかったら、、』自分でも気が付かないうちに、過ちを犯していた、気が付いたら、〝相当な深みに填ってしまっていた〟と言う意味である。
こういう人に対する思いやり・・間違いはハッキリ指摘した後に、赦しと同情も必要である。
『御霊の人であるあなたがた、』御霊に満たされて、御霊の支配の中で生活している人のこと。
『柔和な心でその人を正してあげなさい』冷たく裁きっぱなしで、些かの同情も持たない、のではなく、正しい生活に帰りなさい、と励ます。
『自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい』自分は絶対に倒れない、あなたのようなヤワな人間ではないぞ、と傲慢に陥らないように。
『立っていると思っている人は、倒れないように気を付けなさい』Ⅰコリント10:12
自分の弱さも謙遜に認めること、弱いところに主の強さが現れる。Ⅱコリント12:9
ガラテヤ6:2『互いに重荷を負い合いなさい』重荷とは苦しみ、悲しみ・心配などの精神生活上のいろいろな重荷を指している。
『キリストの律法』主イエスが言われたこと、『自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい』ガラテヤ6:3
ガラテヤ6:4、5 キリストの十字架が私の罪のためでした、と言う事実を認めている人は、
他人を見下げて自分が優越感に浸ってはいない。
Ⅱ、蒔いた種を刈り取る法則。ガラテヤ6:6~9
私たちは人を誤魔化すことが出来ても、神を誤魔化すことは出来ない。
良いことでも、悪いことでも、自分のしたことの結果を刈り取らなければならない。
肉に従って生活するものは、滅びを刈り取り、聖霊に従って生活する者は、永遠のいのちを刈り取ることが決まっている。ガラテヤ6:7、8
善を行うことに関しては、忍耐が必要ですから、中途半端のままで、投げ出さないように。
ガラテヤ6:9 Ⅱコリント9:6~8
善を行うことに関して膿疲れてはなりません。
Ⅲ、大事なのは十字架、誇るべきは十字架である。ガラテヤ6:11~18
キリストの十字架に頼る信仰が大事なことである。ガラテヤ6:14 ガラテヤ5:5、6
私たちの誇るべきものは、キリストの十字架。
キリストの十字架によってのみ、私たちはこの世のすべての罪から解放される。キリストの十字架によって、世俗的なものとは、絶縁状態になる。
キリストの十字架によって新しいいのちが与えられた。
キリストの十字架はわが罪のためである、と信じて義とされて、神の御国を相続するという祝福に預かることが出来た。ガラテヤ6:15
マルチン・ルターはこの恵みに目覚めたのである。
〝われここに立つ〟人は信じて義とされる。
ガラテヤ6:16『この基準に従って進む人々』律法に依らないで、キリストへの信仰によって義とされるという原理に従うこと。
キリストの福音を受け入れて、救われたクリスチャンに、神の慈愛と憐れみとが豊かに注がれるように、と祈っている。
『私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから』ガラテヤ6:17
奴隷の体に焼き印を押して、持ち主が誰であるか、を明らかにしていた。
私はこのとおりイエスの奴隷として、聖霊の焼き印を押されている。
キリストの十字架の焼き印、聖霊の証印である。
この体も、財も、生活も、時も、全部主のものである。
あなたの心と生活に、いつもキリストの焼き印が見られるように。
ヨハネ黙示録には、クリスチャンの額に焼き印である十字架が刻み込まれてクリスチャン同士にはそれが見える、と書かれてある。
聖霊によってなお深く、キリストの十字架を刻み込んで頂こうではないか。
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
これらでお困りの方はご相談ください。