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    <title>西宮聖愛教会</title>
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    <title>◆ 2012年1月22日 創立５２周年礼拝、地区別礼拝式</title>
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    <published>2012-01-22T12:17:02Z</published>
    <updated>2012-02-05T12:34:00Z</updated>

    <summary>◎みことば『すると彼は、私に答えてこう言った、「これは、ゼルバベルへの主のことば...</summary>
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        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『すると彼は、私に答えてこう言った、「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。<br />"権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって"と万軍の主は仰せられる」。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;ゼカリヤ４章６節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『わが霊によって建つ』<br />テキスト：ゼカリヤ４：１～１４</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">ゼカリヤ書は、<wbr>預言者ゼカリヤが聖霊の感動をもって書いた預言の書である。<br />大凡(おおよそ)、紀元前６００年頃である。<br />南王朝ユダがバビロン帝国によって滅ぼされたのが紀元前５８７年<wbr>７月頃、その約１３年前に預言された。<br /><br />ユダの民は神のさばきとして、<wbr>７０年ほどのバビロン捕囚を余儀なくさたが、異国・<wbr>異教での悲しみ、苦しみ、孤独さに耐えかねて、<wbr>今更ながら自分たちの不信仰と不従順によって、<wbr>捕囚の憂き目に遭ったこと、<wbr>これが受けるべき神のさばきであったことに気付かされて、<wbr>心の底から悔い改めたのである。<br />やがてペルシャ王クロスがバビロンを征服したが、(これもまた、<wbr>神のさばきであった)神はクロスに聖霊の感動を与えて、<wbr>ユダの民を全面解放するようにと命じたので、<wbr>ユダの民は自由を得て故郷エルサレムに帰還したのである。<br /><br />このような歴史的背景のもとに、<wbr>預言者ゼカリヤによって語られたのがゼカリヤ書であった。<br />「さあー、あなたがたは母国エルサレムに帰って、国を、町を、<wbr>城壁を、神殿を復興しなさい。」<wbr>とクロスを通して与えられた神のメッセージを携えて懐かしい故郷<wbr>に帰り、崩れた城壁、焼け爛(ただ)れた神殿を再建、<wbr>復興しようと奮い立った。<br />まず、神を礼拝するために、神殿再建を志した。<br />神の民がめざすリバイバルの始まりであった。<br /><br />ところが、思わぬ妨害が内外から起きた。<br />外敵もさることながら、一番の大きな妨げは内部からの不平、<wbr>不満であった。<br />〝こんな厳しい労働には耐えられない。神殿再建、<wbr>城壁修復のためにこれ以上、時間も財も人も使うのは勿体ない。<wbr>もう止めようではないか。<br />私たちの生活が成り立たないのに、神殿建築とか、<wbr>城壁の修復とかはとても不可能ですよ！〟<br /><br />折角のビジョンが中断され、挫折仕掛けたその時、ハガイ、<wbr>ゼカリヤが立ち上がって、彼らを激励して、<br />〝さあー！<wbr>もう一度心を翻して一緒に祈りましょう！<wbr>神様から出たビジョンならば、必ず成功します！〟<br />もう一度神様の力と勇気と希望が与えられて、彼らは奮い立たせれて、工事を再開した。<br /><br />自分最優先というのは昔も今も変わらないけれども、<wbr>神様は昔も今も挫折している者、<wbr>失望落胆して投げ槍になっている者、<wbr>目の前の大山のような難問題に直面して絶望している者に慰めと希<wbr>望のメッセージ<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">を与えて、リバイバルして下さる、生き返らせて下さる、<wbr>回復させて下さる、復活させて下さるお方である。<br />どんな大きな山も切り崩されて平地に変貌して行くように、<wbr>疑問難問が鮮やかに切り崩されて、むしろそれらが大きな恵み、<wbr>祝福と変えられて来る。<br /><br />『かしら石が引き出されて来る』とはそう言う意味。<br />ゼカリヤを通して語られたメッセージは私たちへの神の希望と愛に<wbr>満ちた現代に生きるメッセージである。<br />人生の嵐はいつでも吹いて来る。<br />しかし、そういう時だからこそ、<wbr>聖霊の追い風を頂いてリバイバルの御業が広がって行く、<wbr>と信じて進もう!<br />今こそ、神の出番、神の出る幕、神の登場を願おう。</font><br />]]>
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    <title>◆ 2012年1月15日 主日礼拝式</title>
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    <published>2012-01-15T13:33:06Z</published>
    <updated>2012-01-22T13:37:31Z</updated>

    <summary>◎みことば『だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;マタイ７章２４節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『揺さぶられても崩れない人生の土台』<br />テキスト：マタイ７：２４～２９</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">昨年は東日本大震災・大津波・<wbr>福島第一原発事故という未曾有の災害が起きた。<wbr><br />１７年前にはまさか起きるとは思わなかった大地震が阪神間を震撼<wbr>させた。<br /><br />『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、<wbr>心を整え、身を慎みなさい』Ⅰペテロ４／７<br />これらは終末の前兆である。世界の終わりも、<wbr>キリストの再臨もそう遠くはない。<br />聖書が言っている通りである。<br /><br />Ⅰ、神のご忠告として真摯に受け止める。<br /><br />多くの犠牲者が出てご遺族の皆様にとっては、<wbr>忘れることが出来ない辛い悲しい出来事であった。<br />あの時私たちは犠牲者の死を無駄にしてはならない、<wbr>と何度心に言い聞かせたことか。<wbr><br />私たちが死んでいても不思議ではなかった。<br />人間の目に余る驕（おご）り、物質中心主義、<wbr>神を徹底的に侮って来た化学万能主義の風潮に対する厳しいご警告<wbr>、愛の忠告であった。<br />余りにも図に乗り過ぎた人間の欲望が、<wbr>愚かさをさらけ出した結果だ、とも言えるのではないか。<br />悲しくも辛いこの貴重な体験を、<wbr>私たちの人生に於いて生かさなくてはならいことは、<wbr>１６年経た今も変わらない。<br /><br />Ⅱ、人間の無力・限界が明らかにされた。<br /><br />よもや起こる筈がない、<wbr>と思っていた大地震がこの阪神間を襲って、<wbr>瞬時に近代都市が灰燼に化してしまった。<br />安全神話など、<wbr>何処かに吹っ飛んでしまった。<br />混乱と恐怖の中で為すすべもなかった方が多かった、と思うが、<wbr>自然の脅威と共に、人間の無力と限界、愚かさを思い知らされた。<br /><br />Ⅲ、揺るがぬ人生の確かな土台。<br /><br />この譬え話は、私たちの人生建築の土台が何に据えられているか、<wbr>によって生き方とその結果が随分違って来ることをキリストが示唆<wbr>している。<br />あなたは自分の人生建築を何に土台を据えて、築いておられるか。今一度吟味してはどうか。<br />砂のようなものを土台としているなら、<wbr>あなたの人生は非常に不安定で危険である。<wbr>見栄えが良くてもそれは「砂上の楼閣」であって、脆(もろ)<wbr>くて崩れやすい。<br /><br />〝知識も名誉も財産も儚いものです。<wbr>自分の努力や才能も限りがあるでしょう！〟<br />目に見えなくても、見栄えが無くても、<wbr>不動岩の如き神のみ言葉に根ざし、み言葉を信じ、<wbr>み言葉の中に生きるなら、人生の嵐が突如巻き起こっても、<wbr>真っ逆様には倒されはしない。詩篇３７：２４<br /><br />直接震災を経験した人々も、そうでない人々も、<wbr>日頃忘れていた一番大切なことを思い出した。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">ご遺族や、亡くなられた方々のためにも、<wbr>精一杯神と人とのために、生きて行かなくてはならない。<br />それが生かされている私たちの使命ではないか。<br />亡くなられた方々が、もし生きておられたならば、<wbr>キリストを信じて、<wbr>もっと有意義な人生を送っていたかも知れない。<br /><wbr>若い人達の中には、<wbr>福音宣教のために献身する者が起こされたかも知れない。<wbr><br />私たちの身代わりに、多くの尊い命が犠牲になった。<br /><br />あの時私たちは、神の憐れみと人の情けを、<wbr>イヤと言うほど体験した。<br />忘れてしまいたいことも多くあるが、<wbr>忘れてはならないことも多くある。<br />ただ、安逸を貪って、自分のためにだけ生きる人生ではなく、<wbr>出来る限り、神のため、隣人のために、<br />何かの形で役に立つ命の生涯でありたい。</font><br />]]>
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    <title>◆ 2012年1月8日 主日礼拝式　</title>
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    <published>2012-01-08T13:29:05Z</published>
    <updated>2012-01-22T13:32:50Z</updated>

    <summary>◎みことば『あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのを...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;使徒１：１１<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『主イエスよ、早く来て下さい』<br />テキスト：使徒の働き１：１～１１</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">キリストは十字架で、私たちの罪の身代わりに死なれた。<br />しかし、<wbr>三日目に死人のうちから復活されて、４０日間、<wbr>多くの人々に御国の福音を語り、ご自分が生きていることを、<wbr>確かな証拠によって、多くの人々にお示しになられた後、<wbr>天に帰られて、神の聖なる御座に着座された。<br /><br />Ⅰ、エルサレムから離れないでいなさい。<br /><br />エルサレムには神を礼拝する神殿があったので、イエス様は誰よりもエルサレムを愛しておられた。<br />父なる神を愛し、神を礼拝することが一番大切なことであり、<wbr>祝福の基であることを自らお示しになられた。<br />弟子たちにもエルサレムを愛し、神を愛することを勧められた。<wbr>詩篇１２２篇をご覧下さい。<br /><br />現在、<wbr>私たちにとってエルサレムに相当する場所は神を礼拝する所、<wbr>神の教会である。<br />主を愛し、主の教会を愛すること、その祝福を願う人は祝福され、<wbr>栄える、ということ。<wbr><br />キリストの十字架の血によって贖われた私たちは、<wbr>教会から離れたり、キリストを捨てたり、<wbr>礼拝を止めることは出来ない。<br /><br />①わたしから聞いた父の約束を待ち望みなさい。<br />父なる神様が承諾、許可したこと、<wbr>その教えや意見をよく聞きなさい、耳を傾けなさい、悟りなさい、<wbr>神の仰有ることをしっかりと受け止めなさい、ということ。<br /><br />②聖霊の力を受けなさい。<br />キリスト者信仰生活の原動力は、神のみ言葉と聖霊の力、<wbr>賢き知恵による祈りの生活である。<br /><br />Ⅱ、わたしの証人となる(キリストの証人)。<br /><br />福音宣教の働きはまず、<wbr>クリスチャンが自分はキリストの証人である、<wbr>という自覚から始まり、イエスは救い主キリストである、<wbr>わたしはイエス・キリストを信じているクリスチャンである、<wbr>という自覚とそれに基づいて、<wbr>自分の内外に磨きがかけられること、人格品性が整えられること、<wbr>愛と謙遜が身について来ることから始まる。<wbr><br /><br />クリスチャンがそこに存在していること自体がキリストの証詞であ<wbr>るが、このクリスチャンに聖霊が臨んで力を受けて、御霊の実・<wbr>救霊の実を結ぶのである。<br /><br />①聖霊が臨む。②力を受ける。<br />聖霊の力は圧倒的な力ですが、これは愛する力、赦す力、<wbr>信じる力、従う力、ささげる力、癒やす力であり、人を救い、<wbr>根底から変えてしまう力である。<br />賢い知恵も礼儀作法も社会的常識さえも身に付けさせる、<wbr>それが聖霊の力である。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2"><br />『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、<wbr>心を整え、身を慎みなさい』Ⅰペテロ４／７<br />世界の終わりも、キリストの再臨もそう遠くはない。<br />『ヨハネ黙示録の七つのさいわい』を心に留めよう！<br /><br />Ⅲ、神のみこころのために生活する。<br /><br />地上の残された時を、泡の如く消えて滅びる去る浮世のものに、<wbr>しがみついて身を任せてしまうのではなく、<wbr>望みの神を信頼して生活する。<br /><br />２０１２年が個人にとっても、家庭にとっても、教会にとっても、<wbr>教区、教団、日本、世界的にも、主のリバイバルの年であり、<wbr>希望の年になりますように、と祈願する。<br /><wbr>人と人との絆も大切であるが、<wbr>もっと大切なのは神との絆があるか否かである。</font><br />]]>
    </content>
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    <title>◆ 2012年1月1日 新年主日礼拝式</title>
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    <published>2012-01-01T11:17:19Z</published>
    <updated>2012-01-09T11:21:28Z</updated>

    <summary>◎みことば『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。 主が御顔をあなたに照...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。<br />
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。<br />主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;民数記６：２４、２５<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『ピンチをチャンスに転換する』<br />テキスト：民数記６：２２～２７</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">今年も神の恵みによって守られ、支えられ、導かれ、<wbr>生かされますことを信じて、心から感謝申し上げます。<br />主の恵みによって新しい年を無事に迎えて、<wbr>まず一番に聖なる神様の御前に罷り出て、<wbr>まことの神様に礼拝をささげることが出来、<wbr>心から感謝すると共に、これこそが真の初詣ではないか。<br /><br />広辞苑によりますと、"お正月とは、楽しい、喜ばしい日"<wbr>という意味がある。<br />「主はエジプトの国で、<wbr>モーセとアロンとに告げて言われた、『<wbr>この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい』<wbr>」。　　出エジプト１２／１、２<br /><br />イスラエルの民にとって、真の正月となったのは、<wbr>エジプトでの長い期間の奴隷生活からの解放の時であった。<wbr>彼らがエジプト脱出の際、エジプト全土に神のさばきが下ったが、<wbr>その災いはイスラエルの民には誰ひとりとして及ばなかった。<wbr>神のことばに従ったからであった。<br />さばきと呪いはイスラエルを通り過ぎ、<wbr>彼らは無傷でエジプトを脱出、彼らは解放され、<wbr>自由と身となって、信仰と望みに溢れて、<wbr>神と共に生きる新しい道が開かれた。<br />こんなに嬉しい、喜ばしい、<wbr>楽しい、幸せな時、ということで、<wbr>その一年の最初の日を正月と呼んだのである。<br /><br />Ⅰ、神を信じ続け、神を礼拝する生活。<br /><br />私たちにとって、人生のお正月とは何か。<br />イエス・キリストの十字架の血潮によって、<wbr>罪が赦されて神の子となり、復活のキリストによって、<wbr>永遠の命が与えられて、国籍を天に持つ者とされたこと、<wbr>この恵みがどんなに喜ばしいことか。<wbr><br />ある意味ではこれが私たちのお正月、<wbr>新しい人生の転換期となった日である。<br /><br />一年の初めにこの恵みを下さった神を礼拝し、<wbr>神に感謝することこそ、真の初詣である。<br />初詣の祝福は神様からのプレゼント、所謂、<wbr>神様からの特別なお年玉である。<br />どんなことが起きても、どんな状況の中ででも、<wbr>神のみ言葉を信じて、神に望みを抱いて、神に期待し続ける一年であって欲しい。<br /><br />Ⅱ、神に望みを抱き続ける生活。<br /><br />私たちは新しい年も主の祝福の中で、幸先の良い出発した。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">泡の如く消えて滅びる浮世のものに、<wbr>しがみついて身を任せてしまうのではなく、望みの神を徹底的に信頼して生活したい。<br /><br />Ⅲ、神の栄冠を得るために。<br /><br />人は誰も神の愛と赦しが無ければ、幸せな人生を送ることはない。<wbr>今や世界は得体の知れない不気味な圧力に追い詰められているよう<wbr>に思う。<br />予期しない様々な出来事を通して、多くの人々は〝<wbr>われわれは人間として何か、<wbr>一番大切なことを何処かに置き忘れて来たのではないか。〟<wbr>と感じている。<br />人類が余りにも神を蔑(ないがし)ろにし、<wbr>自己中心的な欲望のみを追求して来たツケが廻って来た現象である<wbr>、と指摘している者もいる。<br />神の憐れみを慎み深く待ち望もう！</font><br />]]>
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    <title>◆ 2011年12月25日 降誕節感謝礼拝式</title>
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    <published>2011-12-25T11:13:46Z</published>
    <updated>2012-01-09T11:17:09Z</updated>

    <summary>◎みことば『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="礼拝説教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。<br />この方こそ主キリストです。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;ルカ２章１１節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『この方こそ救い主イエス』<br />テキスト：ルカ２：１～２０</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅰ、救い主イエスの誕生は歴史的事実。<br /><br />医者であり歴史家であったルカは、<wbr>当時の全世界の人口調査と関連付けることで、<wbr>イエスの誕生は歴史的事実であることを明らかにし、<br /><wbr>旧約の時代から多くの預言者によって何度も預言されて来た神の御<wbr>子・救い主・メシヤ・キリストであることを証言した。<br /><br />Ⅱ、貧しくなられたイエス様。<br /><br />イエス様は全世界の救い主、王の王・<wbr>主の主であられたにも拘わらず、<wbr>お生まれになったた場所は王宮ではなく、<wbr>家畜小屋として使われていた祠(ほこら)に置いてあった、<wbr>飼い葉おけの中であった。<br />人類の救い主としてのしるしは、『布にくるまっている』、『<wbr>飼い葉おけ』であった。&nbsp; 
ルカ２：１２<br /><br />神の御子・救い主イエスには、<wbr>全く似つかわしくない場所ではあったが、<wbr>罪人を救うために十字架で死ぬことを目的としてお生まれになった<wbr>のであれば、最も相応しい場所であった。<br />イエスがすべての人の心と人生、家庭に入ろうとされたが、<wbr>人々の心も生活も世の中の事で一杯詰まっていたので、<wbr>イエス様を迎え入れようとはしなかった。<br /><br />今、私やあなたはどうか。<br />イエスは私たちを豊かにするために、貧しくなられた。<br /><br />『主は富んでおられたのに、<wbr>あなたがたのために貧しくなられました。それはあなたがたが、<wbr>キリストの貧しさによって富む者となるためです。』Ⅱ<wbr>コリント８：９<br /><br />『主は富んだおられた』・・主はどれほど富んでおられたのか。<wbr>主はいと高き神の栄光の座、すべてに優る御方、権威・<wbr>権能を有するお方であった。<br /><br />にも拘わらず『貧しくなられた』・・<wbr>主はどれほど貧しくなられたのか、まず人間の姿をとられた。<wbr>お生まれになったのが薄暗い家畜小屋の飼い葉桶の中。<br /><br />主は罪の世に来て下さり、ご生涯は孤独、裏切られ、罵られ、<wbr>散々辱められ、<wbr>挙げ句の果てに最重要の罪人として十字架で惨たらしい刑罰を受け<wbr>た。<br /><br />そして暗黒の世界にまで下られた。これらは皆、<wbr>私達の罪の身代わりであったことを忘れてはなるまい。<br />それは『あなたがたが、富む者となるためです』<br />罪が赦され、永遠の命が与えられ、<wbr>国籍を天に持つ者となるためであった。<br /><wbr><br />イエスを私たちの心や人生から、閉め出したり、<wbr>追い出すことは出来ない。<br />私達はどんなに貧しい人間か。罪深い汚れた、偽りと傲慢、争いと憎しみなど、愛せない、赦せない、<wbr>不義だらけの者である。<br /><br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅲ、喜びを知らせに来た。ルカ２：１０<br /><br />救い主イエスによって、私たちに与えられた喜びは赦され、<wbr>愛され、<wbr>平和に過ごすようにとのメッセージが私たちに与えられたことであ<wbr>る。<br />復活によって永遠の命が与えられる喜び、<wbr>やがて地上生涯を終えたあと、天の御国に入るという喜び。<br />このよろこびはマリヤとヨセフから始まり、数人の羊飼、<wbr>ベツレヘムからユダヤ全土、遠くの東から来ていた博士達、<wbr>さらに全世界に伝えられて、<wbr>長い年月を経て私たちにも伝わって来た。</font><br />]]>
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    <title>◆ 2011年12月18日 待降節第三週礼拝式</title>
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    <published>2011-12-18T02:09:09Z</published>
    <updated>2011-12-28T02:14:00Z</updated>

    <summary>◎みことば『それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道か...</summary>
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        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、<br />別の道から自分の国へ帰って行った。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;マタイ１章２１節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『戻ってはならない道』<br />テキスト：マタイ２：１～１２</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅰ、イエス・キリストに対する三つの反応。<br /><br />①ヘロデの反応・憎悪と敵意。<br />ヘロデは今生まれたばかりの幼子が、自分の生活、地位、権力、<wbr>勢力を脅かすことを恐れたので、本能的に殺してしまおうとした。<br /><br />②祭司長と律法学者の反応・徹底した無関心。<br />祭司長や律法学者は、神殿の儀式や律法の解釈に心奪われて、<wbr>イエスの誕生には関心が無かった。<br />現代人の多くは自分のことに忙しすぎて、イエス・<wbr>キリストには殆ど無関心のようである。<br />自分の醜い罪や傲慢、滅びや世界の終わり、<wbr>神の愛や永遠の命のことなど、何とも思わないのですか、<wbr>と訴えている言葉がある。<br /><br />③博士たちの反応・賛美と礼拝。<br />『星に導かれて来た博士たち』民数記２４／１７<br />イエス・<wbr>キリストの足もとに最上の捧げものを捧げたいという願いを込めて<wbr>、遙々遠い東の国からベツレヘムに来た博士たち。<br />彼らは今で言う天文学者であり、非常に有能な博士であったので、<wbr>旧約聖書にも精通していたのではないか、と思われる。<br /><br />特に、<wbr>救い主イエス様の誕生ことはよく知っていたであろう。<br />①救い主はユダヤ人であり、異邦人ではない。<br />②救い主はユダ族から生まれる。<br />③救い主はダビデの家系から生まれる。<br />④救い主は処女から生まれる。<br />⑤救い主はダビデの町ベツレヘムに生まれる。<br /><br />Ⅱ、キリストへの捧げもの。<br /><br />博士たちの捧げものは、救い主イエスにとって、まことに相応しいものであった。<br /><br />①黄金・王の王への贈り物。<br />イエス様は「王の中の王」として、お生まれになりましたが、<wbr>世の中の王のように、力でねじ伏せるのではなく、<wbr>愛によって支配した。今もそうである。<br />キリストが人生を支配して下さる王の王なので、いつも心の王座にイエス様をお迎えしょう。<br /><br />②乳香・祭司への贈り物。<br />香しい乳香は、<wbr>神殿において礼拝と犠牲がささげられる時に用いられた。<br /><wbr>祭司の務めは、人が神のもとへ行く道を開くこと。<wbr><br />祭司のラテン語は「ポンティフェクス」で、<wbr>橋を架ける人という意味である。<br />イエス様は「愛と平和」の懸け橋となって下さった。<br />私たちも愛と平和の架け橋になりたい。<br /><br />③没薬・死者への贈り物。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">没薬は死体に塗るもの。<wbr>イエス様は私たちの罪を贖うために十字架で死ぬために来られた。<br />イエス様は人の身代わりになって十字架で死なれた。<br /><br />Ⅲ、別の道から帰って行った博士たち。<br /><br />幼子イエスを救い主として礼拝した後、<wbr>博士たちはヘロデの処へは戻らなかった。<br />ヘロデへの道、それは死を意味した。<br />神から離れてしまう滅びの道、堕落の道、教会から離れる道、<wbr>誰かを憎み、排斥してしまう殺しの道。<br />私たちはヘロデの道を行くのではなく、<wbr>キリストと共に生きる新しい道を歩み続けるのである。<br />私たちの帰る道とは永遠の命への道である。<br /><br />『わたしは道であり、真理であり、命です。<wbr>誰でもわたしによらないでは、<wbr>父のみもとに行くことは出来ません。』ヨハネ１４／１<br />キリスト以外の道に舞い戻る必要はない。</font><br />]]>
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    <title>◆ 2011年12月11日 待降節第二週礼拝式</title>
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    <published>2011-12-11T02:04:09Z</published>
    <updated>2011-12-28T02:08:37Z</updated>

    <summary>◎みことば『マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。<br />この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;マタイ１章２１節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『イエス様の誕生次第』<br />テキスト：マタイ１：１～２５</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅰ、救い主誕生の次第。マタイ１／１８～２０<br /><br />救い主イエスの誕生は世の常のようではなく、<wbr>聖霊による超自然的な誕生であった。<br /><br />人間と同じような生まれ方であれば、<wbr>私たちのような罪深い者の罪を赦したり、汚れをきよめたり、<wbr>罪深い者を永遠の滅びから救い出すことは不可能。<wbr><br />神は御子イエスを通して、罪深い人間に愛の干渉をされた。<wbr>救い主キリストは私たちのすべての罪と悩みとを全部十字架で背負<wbr>って下さった。<br /><br />私たちは生まれ育ち、家柄、性格、職業、<wbr>世代などの違いがあるが、罪深く、汚れた者たちである、<wbr>という点では皆共通している。<br />イエス・<wbr>キリストの系図の中にはこの系図に相応しくない人たちの名前が出<wbr>て来るが、実はこの｢系図｣<wbr>には驚くべき深い真理が秘められている。<br />イエス・キリストの福音という真理が、<wbr>すでにこの箇所でその全てを露わにしている。<br /><br />それを解く鍵は、その中にわざわざ四人の女性の名前が記されている事実である。<br /><wbr><br />男系の系図の中に、<wbr>書く必要のない女性の名前をわざわざ加えているのには、<wbr>そこに特別な意図があるはずである。<br /><wbr>実はこの四人の女性の身許を旧約聖書に照らし出して見ますと、<wbr>いずれも｢札付きの女性｣、<wbr>罪と恥とに満ちた人たちであることが判る。<br />タマル、ラハブ、<wbr>ルツ、バテシバである。<br />私たちも皆聖なる神にふさわしくない者たちばかりであるが、<wbr>神が私たちを閉め出すことは絶対にない。<br />だから私たちも主を閉め出す必要もない。<br /><br />ところで、あなた個人の、<wbr>自分自身のこれまでの人生系図はどのようであったでしょうか。<br /><wbr>つまり、この世に生を受けて以来、<wbr>どのような系譜を辿ってこられたか。<br />罪をもって生まれて来た、<wbr>これまで神に背いて罪の生活を続けて来た、不信仰、<wbr>不従順であった。<br />しかし、ある時、神の元に導かれて罪を悔い改めて主を信じた、<wbr>キリストを救い主として受け入れた、<br />当然のこととして洗礼を受けた、<wbr>神と共に生きる信仰生活に入った今、<wbr>クリスチャンとして生かされている。<br /><wbr>あなたはこのような系譜を辿って来られたか。<br /><br />Ⅱ、永遠の救いの系図に入る。１／２１～２５<br /><br />最高の血筋と完全に純潔であるお方が、<wbr>汚れに満ちた罪の世に入って来られて罪深い者の友となり、<wbr>愛と平和とを説き、多くの人々の心の傷や病を癒やし、</font><font face="MS UI Gothic" size="2">罪の赦しと永遠の命を与えたのであるが、<wbr>イエスは人々から嘲られ、罵られ、捨てられて、罪人(つみびと)<wbr>呼ばわりされた挙げ句、十字架に磔(はりつけ)<wbr>にされて殺された。<br />神のご計画であったが、<wbr>それは私たちの罪の身代わりの死であった。<br /><wbr>信じて救われた者はキリストの十字架の血潮によって罪を赦されて<wbr>、復活のキリストによって永遠の命が与えられて、「神の永遠の救い」<wbr>という聖なる系図の中に組み入れられるのである。<br /><br />Ⅲ、毎日がクリスマスであればいいのに。<br /><br />聖霊によってマリヤの胎内に宿ったこと、<wbr>夫ヨセフが忍耐深かったこと、<wbr>マリヤの信仰と従順があったからこそ、<wbr>救い主イエスの誕生は実現した。<br />私たちも彼らの信仰と従順・忍耐を身に付けたい。</font><br />]]>
    </content>
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    <title>◆ 2011年12月4日 待降節第一週礼拝式</title>
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    <published>2011-12-04T12:19:05Z</published>
    <updated>2011-12-15T12:23:14Z</updated>

    <summary>◎みことば『主権はその肩にあり、その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『主権はその肩にあり、その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;イザヤ９章６節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『主は不思議なお方』<br />テキスト：イザヤ９：１～７</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅰ、暗き世を明るくするまことの光キリスト。<br /><br />預言者イザヤは、救い主イエス様の誕生約７３５年位前に、<wbr>救い主の預言をした。<br />当時は非常に暗い時代で、<wbr>何もかもが間違いだらけの時代、混乱した世の中、<wbr>まるで今の日本や世界の現状を予知するような時代であった。<wbr><br />しかし、イザヤはまことの光の出現で、<wbr>暗黒が明るくなることを預言した。<br /><br />この世には偽りの光、人工的な光、一時的に愉しませてくれる光、<wbr>私たちの心を惑わす光、眩(くら)ます光、<wbr>見栄を張る光が余りにも多い。<br />しかし、<wbr>キリストは私たちに希望と平安を与えてくれるまことの光である。<br /><br />Ⅱ、主権者、その名はインマヌエルー神共にいます。<br /><br />①不思議な助言者[知恵深き相談相手]<br />ワンダー・プラナー：<wbr>奇蹟の計画者、驚くべき指導者、ワンダフル・カウンセラー　主は知恵深き相談相手、真実な忠告者、<wbr>物事を冷静に考える知恵を与えて下さるお方<br />最も優れた、最も信頼出来る相談相手ですから、<wbr>安心してすっかり任せることが出来る。<br /><br />②大能の神[能力ある解決者]<br />戦いの神・・<wbr>イスラエルの民が戦いに出て行く時に主なる神の名を呼ばわりなが<wbr>ら敵に向かっていった。<br /><wbr>力ある神は天地万物を創造してこれを支え、<wbr>歴史をも導いておられる。<br />私たちは絶えず悩み、孤独、不安、悲しみ、争い、誤解、<wbr>人間不信、自己憐憫などで、<br />落ち込んだり、<wbr>僻み根性で強情になったりするまことに複雑な人間、弱い愚かな罪人に過ぎないが、<br />主はこんな私たちを憐れみ、<wbr>救い出して平安を満たして下さる。<br /><br />③永遠の父[憐れみ深い主]<br />アヴィアッド：時々刻々、<wbr>いつでも何処にでも、<wbr>どんな時でも信頼して来る者とおいでになる。<br /><wbr>神は命懸けで私たちを愛して下さる。どんなに心変わりしても、<wbr>あなたに対する神の愛は変わることがない。<br /><br />④平和の君[真の安息の源泉]<br />シャローム：私たちの人生は平坦な道よりも、険しい道が多い。<br />信仰の戦い、経済的、健康的、家庭的な悩みなど、<wbr>問題は山ほどある。<br />罪と誘惑、死との戦いもある。<br />何事か起きたら、吹っ飛んでしまいそうな安らぎではなく、<wbr>苦悩とか、試練とかを乗り越えさせる。<br /><br />Ⅲ、主の熱心がそれをする。<br /><br />主キリストは熱心に一生懸命私たちを愛し、赦し、救おう、<wbr>祝福しようとしています。<br />また、求道中の皆さんは一日でも早く罪を悔い改めて、<wbr>洗礼を受けて、クリスチャンになって下さい。<br /><br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">アドベントからクリスマスシーズンは、<wbr>私たちが神の愛にカムバックする恵みの時です。<br />『<wbr>すべての人を照らすまことの光があって世に来た。』ヨハネ１／９<br />まことの光としてこの世に来て下さったキリストを私たちの心、<wbr>家庭、人生にお迎えして、あらゆる暗闇を追い出して頂こう。<br />『<wbr>光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。』<wbr>ヨハネ１：５<br />主は私たちに決して下手なことは為さらない。</font>]]>
    </content>
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    <title>◆ 2011年11月27日 宣教感謝礼拝式、地区別礼拝</title>
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    <published>2011-11-27T07:36:20Z</published>
    <updated>2011-12-04T07:40:20Z</updated>

    <summary>◎みことば『いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において、明らかに示されるためなのです。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Ⅱコリント４章１０節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[上田信宣教師]</font><br />テーマ：『イエスの命が現れるため』<br />テキスト：Ⅱコリント４：７～１０</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">私たちの人生には様々な問題が起きる。<br />特に宣教する時に大きな問題にぶつかることがある。<br /><wbr>その問題にぶつかった時に、私たちが何をもっているか、<wbr>が問われる。そのためにどうしたらいいのか。<br /><br />１、土の器であることを認める。<br /><br />私たちは皆土の器である。<wbr>金の器でも銀の器でもない。<br />土の器であるなら誇るところは何もない。<br />しかし、多くの人は自分がどんな器かを誇る。<br /><br />パウロはこの世の見方でいうなら、八日目に割礼を受けた者、<wbr>イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、...（<wbr>ピリピ３：５）と優秀な人物であった。<br />しかし、彼が宣教者として立つ際、<wbr>これらのものが何の役にも立たないことを悟り、<wbr>イエスキリストを知る知識の絶大な価値のゆえに、<wbr>それらのものを損と思うようになった、と告白している。<br /><br />２、土の器に宝をもっている。<br /><br />どんな器かは問題ではない。<br />内側に何をもっているかが問われる私たちは皆、宝を持つべきである。<br />宝とは福音でありイエス様ご自身である。<br />私たちの内にイエス様はおられるかどうか。<br />この宝を持つか否か。それは苦難に面したときに明らかになる。<br /><br />３、宝を持つ時に倒れても立ち上がる力を持つ。<br /><br />このイエス様が内におられる時、何事にも屈しない力をいただく。<wbr>逆境の時、内に何を持つか、本物かどうかが問われる。<br />自分の力、知恵、経験、知識、地位、<wbr>能力に頼って出来ることもある。<br />実際に神様を知らない人々はこうしたものに頼り、働いている。<br />しかし、私たちの信仰生活には神の世界がある。<br />言い換えれば私たち人間の介入できない情況が起きる。<br />その時、<wbr>内にイエス様がおられるならイエス様が立ち上がって下さる。<br />自分の力ではなくイエス様の力によって、<wbr>たとえ困難が多くとも与えられた使命を全うしよう。<br /><br />イエス様の死、それは十字架で死んで終わったのではない、<wbr>よみがえられた。<br /><wbr>そのイエスの命を今も私たちの生活の中に現して下さる。<br />与えられた使命を知り、共に全うしていきたい、と願っている。<br /><wbr>倒されて終わりの人生ではなく、<wbr>倒されてもなおイエス様によって立ち上がり、<wbr>前進する者となろう。</font>]]>
    </content>
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    <title>◎ 「絵本の読みきかせとパネルシアター」 のお知らせ</title>
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    <published>2011-11-20T13:08:46Z</published>
    <updated>2011-10-25T15:01:11Z</updated>

    <summary> ◎ おはなしの世界を楽しもう！　　　　絵本のよみきかせとパネルシアター 【日時...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="お知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<p> <font color="#3366ff"><b><font style="font-size: 1.5625em;">◎ おはなしの世界を楽しもう！<br />　　　　絵本のよみきかせとパネルシアター</font></b><font style="font-size: 1.5625em;"><br /></font></font></p><p><br />


</p><p><b><font style="font-size: 1.25em;">【日時】</font></b><b><font style="font-size: 1.25em;">　&nbsp; ２０１１年１１月２０日(日)　１３時３０分～１５時</font></b><b><font style="font-size: 1.25em;"><br />【場所】　&nbsp; </font></b><b><font style="font-size: 1.25em;">西宮聖愛教会　３階 礼拝堂</font></b><b><br /><font style="font-size: 1.25em;">【ゲスト】</font></b><b><font style="font-size: 1.25em;">　熊本 剛（クマモト　ツヨシ）<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 聖和乳幼児保育センター 保育士<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 西宮聖愛教会教会員</font></b><br /></p><br /><p><b><font style="font-size: 1.25em;" color="#3366ff"><font color="#ff0099">入場無料です。</font></font></b></p><p><b><font style="font-size: 1.25em;" color="#3366ff">どなたでもお気軽にお越しください！お待ちしております。</font><br /></b></p><p><br /><b></b>  </p>]]>
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://nseiai.net/eventinfo/20111120/event_20111120.html" onclick="window.open('http://nseiai.net/eventinfo/20111120/event_20111120.html','popup','width=521,height=736,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://nseiai.net/assets_c/2011/10/event_20111120-thumb-365x515.gif" alt="event_20111120.gif" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" height="515" width="365" /></a></span><p></p>
<div align="center"><form class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;" contenteditable="false"><a href="http://nseiai.net/eventinfo/20111120/event_20111120.pdf" target="blank"><span class="caps"><span class="caps"><span class="caps"><span class="caps"><span class="caps"><span class="caps"><span class="caps"><span class="caps">PDF</span></span></span></span></span></span></span>版はこちら</span></a></form></div>]]>
    </content>
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    <title>◆ 2011年11月20日 主日感謝礼拝式</title>
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    <published>2011-11-20T07:31:06Z</published>
    <updated>2011-12-04T07:36:09Z</updated>

    <summary>◎みことば『弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべて...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。<br />すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。<br />私はすべてのことを、福音のためにしています。<br />それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Ⅰコリント９章２２節、２３節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『福音宣教の喜びに満たされて』<br />テキスト：Ⅰコリント９：１９～２７</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅰ、キリストによって真の自由を得て、キリストの奴隷となった。<wbr><br /><br />私、<wbr>このパウロはキリストによってすでに罪と律法から解放されて、<wbr>真の自由を得た。<br />今はキリストを信じる信仰とキリストのみ教えの中に生かされてい<wbr>る。<br />だから、律法を持つユダヤ人にも、<wbr>律法を持たない異邦人にも、<wbr>キリストの福音を喜んで伝えているのである。<br /><br />弱い人には、弱い人の辛い気持ちを十分察しながら福音を語った。<br /><wbr>あらゆる境遇、あらゆる身分地位、あらゆる立場、あらゆる生まれ育ちの人、あらゆる貧富の人、<wbr>肌の違いに拘わらず、<wbr>分け隔てをせずに福音を語って来たのであった。<br />それは一人でも多くの人を何とかして救いに導きたいという切なる<wbr>願いからであった。<br /><br />御霊による神の愛が私を用いて下さったのである。<br />もし、わたしがキリストの福音を語らないなら、福音という宝を腐らせてしまうことになる。<br /><br />Ⅱ、福音のためにどんなことでもする。<br /><br />どんなことにも、どんな人にも、自分を合わせます、<wbr>と言ってもその人の悪い行いや思想に妥協したのでは決してない。<wbr>その人の立場や考えをよく聞いてあげて、理解した上で、<wbr>キリストの愛を分け隔てなく語って来たのである。<br /><br />すべての人に福音を語り、すべての人が救われて欲しい、<wbr>すべての人とキリストの十字架による罪の赦しの恵み、<wbr>キリストの復活による永遠の命の恵みを共有したい、<wbr>というのがパウロの願いであった。<br />そしてそれは神が望んでいるところである。<br />私たちもパウロのスピリットと姿勢に倣(なら)いたい。<br /><br />Ⅲ、パウロの自己鍛錬。<br /><br />他者にはやさしく寛容であり、自己には厳しく生きる、<wbr>というのがパウロのモットーであった。<br />それをパウロは競技者に準(なぞら)えて、<wbr>信仰者も節制と訓練が必要であることを奨励している。<br /><br />この世のアスリートは朽ちる冠を得るために厳しくトレーニングに<wbr>励む。<br />しかし、私たちは朽ちない冠＜<wbr>それは終わりの日に主から賜る義の冠・栄光の冠＞<wbr>を得るためにそうするのである。<br />そのために私たちは定められた、<wbr>揺るがない目標をめざしてひたすら走り続ける。<br />私たちの目標はキリストである。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2"><br />更にパウロは拳闘選手のことを語っている。<br />ボクサーは的外れのパンチを打つような浪費は極力避けて、<wbr>正確なパンチを繰り出せば、<wbr>相手は相当なダメージを受けてダウンしてしまう。<br />私たちにとって正確なパンチとは、<wbr>神への祈りと御言葉を信じる信仰である。<wbr><br />それはサタンへの痛烈で効果的なパンチである。<wbr>それは自分にとって自らをしっかり立たす力となる。<wbr><br />私たちはキリストという目標を見失わなければ失格者にはならない<wbr>。</font><br />]]>
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    <title>◆ 2011年11月13日 召天者記念礼拝</title>
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    <published>2011-11-13T14:49:26Z</published>
    <updated>2011-11-21T14:54:19Z</updated>

    <summary>◎みことば『私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nseiai.net/">
        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。<br />また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;Ⅰコリント８章６節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『主によって私たちは存在する』<br />テキスト：Ⅰコリント８：１～１３</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">男女の結婚問題について、語り終えた使徒パウロが、<wbr>次に取り上げたのが、「偶像に供えた肉について」の問題である。<wbr><br />「不品行」と並んで、「偶像に供えた物」についての問題は、<wbr>余りにも大きな障害となって、<wbr>彼らの前に立ちはだかったのである。<wbr>私たちにも同じことが言える。<br /><br />Ⅰ、偶像にささげた供え物。<br />アクロコリント山上のアフロディテ、町中に溢れる偶像には、夥(<wbr>おびただ)しいほどの肉の供え物がささげられていた。<wbr>取り下げられた後は、偶像教の神官の食べ物となった。<wbr><br />こういうことは日本の神社仏閣における供え物が神官僧侶に供せら<wbr>れるのとよく似ている。また、<wbr>それらは氏子仲間にも分配されたり、市場にも卸されて、<wbr>市販されたりしていたのである。<br /><br />ここに、クリスチャン仲間には、<wbr>そのような「偶像に供えられた肉」を食べてよいかどうか、<wbr>という問題が起こったのである。意見は二つに分かれた。<br />ある人達は、そのような肉を食べることは、偶像を認めることになる、として反対した。<br />これに対して、知的であることを誇っている人達は、<wbr>元来真の神は唯一であって、偶像なるものは何物でもないので、<wbr>その何でもない物に供えられた物も何でもないのであって、<wbr>それを食べても何でもないのだ、という考えで好きなように、<wbr>祝宴でも招待されても、自分の家でも、<wbr>自由に食べていたのである。<br /><br />このような異教世界との接触によって浮かび上がって来た新しい問<wbr>題を巡って、コリント教会内に紛争・<wbr>分裂の兆しが見え隠れしていた。<br /><br />Ⅱ、コリント教会の問題を解決するために。<br /><br />教会の問題は、単なる知識や教育によってではなく、偏(ひとえ)<wbr>に兄弟愛によって、さらにその背後にある主イエス・<wbr>キリストの十字架の愛と神のみ言葉によって解決されるべきである<wbr>。<br />話し合い、祈り合い、聖霊の知恵と導きを仰ぎ、<wbr>み言葉によって解決を図るのがベストである。<br /><br />Ⅲ、唯一の神以外には神は存在しない。<br /><br />１、すべてのものは神から出ている。<br />２、私たちはこの神に帰属している。<br />３、唯一の救い主、イエス・キリストが存在し、<wbr>私たちもこの主によって存在しているのである。<br />　　　　　　　　　　　　ローマ11章36節<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2"><br />①天地創造の神である。創世記１：１<br />神は人間をも創造された。神のご性質に似せて創造された。<wbr>人間にだけ霊魂が備えられた。<br /><br />②救い主、イエス・キリストを賜った神。<br />堕落した私たち人間を罪と死と滅びから救い出すために、<wbr>人生のあらゆる問題・重荷・悩み・悪癖・<wbr>悪習感から救い出すために、永遠の命を与えるために、<wbr>救い主キリストは来られた。<br />キリストは十字架で死なれたが、死人の内より甦(よみが)<wbr>えられた。ヨハネ３：１６<br /><br />②平安と希望の神。ローマ１５：１３<br />あなたの人生を保証するもの、<wbr>あなたに永遠のいのちの世界を保証する方は誰ですか？</font><br />]]>
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    <title>◆ 2011年11月6日 児童祝福礼拝式</title>
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    <published>2011-11-06T14:45:56Z</published>
    <updated>2011-11-21T14:49:14Z</updated>

    <summary>◎みことば『干からびた骨よ。主のことばを聞け。見よ。わたしがおまえの中に息を吹き...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『干からびた骨よ。主のことばを聞け。見よ。わたしがおまえの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;エゼキエル３７章４節-５節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『天に向かって叫べ・主よお救い下さい』<br />テキスト：エゼキエル３７：１～１４</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">エゼキエル３７章はイスラエルの民がバビロンという異国異教の地<wbr>で７０年の長い間、捕囚として苦難の道を歩んだ後、<wbr>主の憐れみによって回復するという預言である。<br /><br />物心両面で繁栄していた神の選民イスラエルが何故そのような無様<wbr>な姿に転落し、その様な憂き目に遭ったのか。<wbr>どのようにして回復したか。<br />転落の原因は神への反逆、神への不従順、<wbr>神を不要としたからであった。<br />人間が歴史の中で神など必要ない、<wbr>と言い始めると必ず人間の不幸が始まる。<br /><br />実際、人間の知識や技術は目を見張るほど、<wbr>急ピッチで進歩を遂げて来たし、<wbr>多くの分野で人類歴史に貢献して来た。<wbr>それでわたしたちは随分助けられて来た。<br />その反面、<wbr>それ以上に人間を不幸にしているのも確かである。<br />福島第一原発の事故災害も例外ではない。<br />行き詰まった今の時代、瀕死の状況である今の世界こそ、<wbr>神の助けが必要である。<br />すべての人がこの絶大な神の憐れみを呼び求めて、<wbr>新しく作り替えられることこそ、<wbr>今の時代に最も必要なことではないか。<br /><br />当時イスラエルの回復のためにはどうしても神の憐れみと助けが必<wbr>要であった。<br />彼らは異境の地バビロンで自分たちの間違いに気付いてやっと悔い<wbr>改めたのである。<br />神は彼らを深く憐れんで赦して下さり、<wbr>思わぬ方法でイスラエルを解放させたのであった。<br />ちょうど、ドライボーンに皮膚が付、<wbr>肉に覆われて息を吹き返すように、生きる希望がよみがえって、<wbr>故郷に帰って来ることが出来たのであった。<br /><br />２０１１年３月１１日(月)午後２時４６分、<br />東日本大震災・大津波、そして原発事故災害が起きた。<wbr>町々は殆ど復興されてはいない。<br />多くの人たちの心の傷、<wbr>精神的肉体的な傷は癒されがたいものがある。<br /><wbr>大震災で被害を受けた人たちのみならず、<wbr>私たち人間の心の傷を癒すのは並大抵ではない。<wbr><br />いろいろな手段があるにしても、根本的に癒されるためには、<wbr>神の命無くしては考えられない。<br />神の命の息吹である聖霊とみことばの力が必要である。<br /><br /><wbr>多くの人たちがいろいろな形で救いの手を差し伸べている。<wbr>すべてのクリスチャンに出来ること、それは神にまず祈ることである。<br />祈って人々に救いの手を差し伸べることである。<wbr>キリストによる永遠の救いである。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2">今、日本も世界もボロボロの状態、瀕死の状況である。政治、<wbr>経済、国際関係、教育、家庭、個人、教会はどうか。<wbr>まさに干からびた枯れ骨のような状況ではないか。<br /><br />しかしながら、主は回復の神・希望の神であるから、<wbr>信じて従う者を必ず復活の主は骸骨のような状態から復活させて下<wbr>さる。<br />今世界の万民が、天に向かって手を差し伸べて、<wbr>主なる神さま！どうか憐れんで下さい！お救い下さい!<wbr>と叫ぶ時ではないか。</font><br />]]>
    </content>
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    <title>◆ 2011年10月30日 地区担当礼拝式</title>
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    <published>2011-10-30T14:38:13Z</published>
    <updated>2011-11-21T14:45:39Z</updated>

    <summary>◎みことば『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そ...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<p><b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;マタイ７章１３、１４節<br /></b><br /></p><p><b><b><font color="#006699">◎証詞要旨　[松本紀男兄]</font><!--br / />テーマ：『人は信じて義とされる』<br / / / / / />テキスト：ローマ３：２３～３０--></b> </b></p><p></p>]]>
        <![CDATA[<p>  （イスラエルの祭り）（レビ23章）<br />
ア、農業祭であり春と秋に分かれていること。</p>

<p>イ、民族歴史の確認であること、</p>

<p>ウ、メシヤの働きの預言となっていること。<br />
この祭りがイスラエル民族を民族として守ったと言われている。</p>

<p>Ⅰ安息日（23：3）。<br />
Ⅱ春の祭りは①過越しの祭り（23；5）②種なしパンの祭り（23；7）③初穂の祭り④7週の祭り（ペンテコステ）の4つ。<br />
Ⅲ、秋の祭りは⑤ラッパの祭り（23：24）⑥贖罪の祭り（23：27）⑦仮庵の祭り（23：34）3つ。</p>

<p>Ⅰ主の安息日は奴隷からの解放を証しとして６日働き7日はまったき休日としての命令、私達には罪の奴隷からの解放である。</p>

<p>Ⅱ①過越しの祭りは神が民をエジプトの奴隷から解放のため子羊の血をもって災いが過越した（出エジプト12）。メシヤの働きはイエス・キリストの十字架の死である。<br />
②種なしパンの祭りは（23：6）、出エジプトを記念し種なしパンを焼き食べること（出エジプト12：15）、霊的には日々我々が犯す罪の悔い改めであること（Ⅰコリント6～8）、（第1ヨハネ1：9）。</p>

<p>③初穂の祭りは（23：10）収穫した大麦の初穂の束を奉げる儀式である。初穂とは後に収穫が続くことを意味するが霊的には、イエスさまの復活である。（Ⅰコリント15：20～23）。</p>

<p>④7週の祭り（ペンテコステ）は、収穫した小麦を粉にしパン種をいれたパンを２個焼いて神殿に奉げる祭りである。霊的には、聖霊が降り教会の誕生で人類を救う新しい時代の到来である。パン種が入ったパン２個とは罪を持った異邦人とユダヤ人共に救いにあずかる者となる（エペソ2：11～16,3：6）。<br />
春の収穫から秋の収穫まで４カ月の中間期に入る。預言的な意味ではキリストの初臨と再臨の中間期の教会時代世界宣教の時代である。　</p>

<p>秋の祭りは⑤ラッパの祭りで、７月の第１日（新月）に聖なる会合の特別の日として角笛を吹いた。預言的には教会の携挙、教会時代の終わりを意味する。</p>

<p>⑥贖罪の祭り（23：27）はイスラエル民族が罪の告白をし罪の赦しときよめを願い断食をする<br />
厳しい日であり預言的はイスラエル民族の不信仰に対する大患難時代の予想である。</p>

<p>⑦仮庵の祭り（23：34）は秋の穀物、果物の収穫を喜び、仮小屋を建て荒野時代の天幕生活を思い出す祭りでもある。</p>

<p>預言的にはキリストの地上再臨とイスラエル民族の救い、千年王国の到来である。<br />
旧約における神のアブラハム契約の最終的成就となります。<br />
神の示された最終的成就は、古い天地は滅び新しい天と新しい地の創造である（ヨハネ黙示録21章）。</p>]]>
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    <title>◆ 2011年10月23日 宗教改革記念礼拝、地区別礼拝式</title>
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    <published>2011-10-23T10:20:12Z</published>
    <updated>2011-11-13T10:24:01Z</updated>

    <summary>◎みことば『ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義...</summary>
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        <![CDATA[<b><font color="#006699">◎みことば</font><br />『ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。』<br />&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;ローマ３章２４節<br /></b><br /><p><b><b><font color="#006699">◎説教要旨　[福本行宏牧師]</font><br />テーマ：『人は信じて義とされる』<br />テキスト：ローマ３：２３～３０</b> </b></p><b> </b>]]>
        <![CDATA[<font face="MS UI Gothic" size="2">Ⅰ、すべての人は罪の下にある。ローマ３／９～２０<br /><br />ユダヤ人もギリシャ人も、すべての人は罪を犯してしまったので、<wbr>罪の下にあり、神のさばきのもとにある。<br />『罪』とは、<wbr>ハマルティアといい、的をはずす、という意味で、<wbr>人間として本来あるべき姿(人間の本文)を失うことを示す。<br />人間の本文とは、『神を畏れ、神の命令を守る』こと。<wbr>伝道の書１２／１３<br /><br />Ⅱ、神の義。ローマ３／２１～２６<br /><br />聖書によれば、『義』という言葉の概念は、次の通りである。<br /><br />①神の性質としての正しさ。<br />②イエス・キリストを信じる者に与えられる神の賜物としての義、<wbr>すなわち、神との正しい関係。<br />③正しい生活のための基準。<br /><br />聖なる神の御前に立てる者はひとりも居ない。<wbr>一度も罪を犯したことがない人はひとりも居ない。<wbr>義人はひとりも居ない。<br />『すべての人は罪を犯したため、<wbr>神からの栄誉を受けることができない』ローマ３／２３<br /><br />Ⅲ、信仰による義認。ローマ３／２４～３１<br /><br />聖なる神の御前に立つことが出来ない者が、<wbr>神の御前に立つことが出来る、というのが、<wbr>キリストのよる義認という恵みである。<br />"神の義認帳・神の善人帳に、<wbr>無償であなたの名が記帳されている"<br />私たちはキリストを信じる信仰によるだけで、<wbr>神に義と認められる。虫のいい話である。<br />これは神によって宣言されている驚くべき恵み、<wbr>義認の恩寵と言う。全く価無しに義と認められるのは、<wbr>神自ら価を払って下さったからである。<br />これがキリストによる十字架の贖いの恵みである。<br /><br />『贖い』(アポリュトゥローシス)：釈放、放免、<wbr>解放という意味、無罪放免ということ。<br />誰かのために身代金を支払って、その人を自由にする、<wbr>解放することを贖いと言う。<br />キリストは多くの人を罪と滅びから解放し、悪魔の奴隷から解放するために、<br />贖いの代価として、<wbr>ご自分の命を与えるために、人間としてこの世に来られ、<wbr>十字架に掛かって死なれた。<br /></font><font face="MS UI Gothic" size="2"><br />『なだめの供え物』(ヒラステーリオン)：償いの供え物、<wbr>という意味。人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、啓示された『<wbr>神の怒り』を宥(なだ)めるために、<wbr>キリストが十字架で命を捧げて、血を流して下さった、<wbr>わたしたち罪人(つみびと)の罪の赦しのために、<wbr>身代わりの犠牲となったのである。<wbr><br />キリストを自分の救い主として信じる信仰によって、<wbr>神に義と認められる、これが義認の恵みである。この国、各家庭、<wbr>この世界を救うのは、イエス・キリストである。使徒１６／３１<br /><br />東日本の被災地復旧・復興のため、福島市・郡山市・二本松市・<wbr>会津若松市のために祈りましょう！</font><br />]]>
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